日記帳

吸血鬼Search&Ring:Children of the Night.

幻想館館主櫻義悠貴の日々あれこれ。

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† 今年も黙祷してみようか

[日常]

 去年載せた文章ですが、そのまま今年も載せてみたいと思います。
 毎年恒例にしようかな。

 今年もこの日がやってきました。
 別に高尚な持論なんて持っちゃいません。
 ただ、幼い頃から聞かされてきたあの悲劇は、繰り返されなければいいと思う。
 こういうの似合うサイトじゃないのは百も承知の上で。

 60年目の夏に

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コメント

私は今年の春からネットを本格的に始めてこちらのサイト様におじゃましましたので、初めてこちらの文章を読みました。毎年この日は仕事ですが、今年はたまたま出張先で、朝に余裕があったので、十年以上ぶりに黙祷しましたよ…。

実際に原爆を体験された方の手記を読むのは、小学校の「平和学習」以来かもしれません。去年、小学校の修学旅行以来20年ぶりくらいに、広島への出張のさいに、夕方、原爆ドームを見に行きましたが、昼間に見たときとはまた違い、夕暮れ時にドームを見たら、ドキッとする迫力がありました。
なんかもう…アメリカのばかたれという感じですね…。当時日本が原爆を落とされるほど悪い国だったというのなら、正義があったら何をしてもいいのか、女子供ふくむ市民をこんな爆弾で虐殺していいのか、と思ってしまいます。
小学校の頃、学校に「はだしのゲン」がありまして、読みましたが、「アメリカ人は原爆を落とす際に、神に成功を祈ったが、その爆弾が長崎で同じキリスト教徒を殺した」という話が忘れられません。長崎の原爆は、本来別の場所に落とす予定が、天気が悪くて長崎になったが、長崎の中心部は雲が多かったので、中心部をはずして落とすことになり、そこには当時、東洋最大規模の教会があった、という話を聞いたことがあるのですが……酷く皮肉な話です。
私の祖父も戦争に行きましたが、普段から無口な人で、中国で、中国人の家庭でご飯をごちそうになったという話しか聞いたことがありませんでした。おなかに銃弾のあとがあったので、色々体験をしたのだろうと思うのですが、語らずに逝きました。
今思うと、話を聞いておけばよかったと思うのですが、もうどうしようもないですね…。口にするのに覚悟がいるほどの経験だったのかもしれませんが。

長々と失礼致しました。
本当に、色々と思いがめぐってしまいまして…。

直接体験した世代はどんどん減っていくわけですから、
少しでも後世に伝えるためにこういうのは残した方がいいかなって思います。
ので、サイトの方向性とは全然合ってないのですが載せてみました。
祖父から直接聞かされたエピソードには、
この体験記に載っていないものもちょこちょこありますね。
でも聞かされたエピソードに関して、私自身の記憶ももう怪しいというorz

反応あると嬉しいです。<長々
いろんな人に読んでもらえた方が、亡き祖父も喜ぶのではないかと……。

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